『エレクトリック』 千葉雅也

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1995年が今の物語。主人公は高校生の達也。
場所は栃木県宇都宮市。雷都。電気の“ライト”も掛かっているのか。
本のタイトルは「エレクトリック」だし。

2階建ての家に住む。1階は父方の祖父母が暮らし、2階は達也と妹の涼子と両親の4人が暮らす。
父は広告会社を経営しており、主な顧客はスーパーマーケット山月屋である。ここの折り込みチラシで食べている。達也の父は仕事をもらうために、社長の岡にウェスタン・エレクトリック社の名器なる劇場用アンプを手に入れる約束をしてしまう。

目次

あらすじ・感想

1995年は、阪神淡路大震災とオウム真理教のサリン事件があった都市で、被災した読者の私(以下まるひろ)にとっても忘れられない年となった。
これからの時代は英語とパソコンです(P24)。と言われるまでもなく、まるひろはソフトウェア会社で英会話のレッスンにも励んでいたが、今となっては当たり前のスキルでなんのアドバンテージもない。

父の会社の取引先の山月屋が始めたプロバイダー業の実験をさせられていた達也は、インターネットでゲイのサイトを発見する。

ウェスタンの名器なる劇場用アンプを探し出し、友人のエンジニアの野村に修理を依頼するが、この男が変わり者で扱いに困るほどだ。

妹の涼子は、タバコが見つかり、母とあまり話さなくなった。
父と達也は、アンプの修理具合を見るため野村さん宅へ行くと、赤い服を着たキャサリンが来て4人でラーメンを食べる。

山月屋の仕事が、インターネットのせいで東京の会社に取られそうになり、達也の父は焦る。

毎年お盆には、父の妹家族が来る。おもてなしは大変そうだ。

『盆といっても、父方の祖父母は福島の人なので、代々の墓は栃木にはないし、親族が集まっても何をするわけでもなかった。しゃべって、食べるだけである。祖父だけが、相談もせずに購入して、ここが志賀家の墓だと意気込んでいる郊外の公園墓地に行く。達也は、誰も入っていないその墓に行ったことがなく、行くつもりもなかった。自分が遠い将来、そこに入ることになるとは到底思えなかった。』

リアルのまるひろも似たような状況であるなと思った。みんな似たような状況なのだ。もう墓などいらないのかもしれない。

達也は同性愛に興味があるようだ。チャットの相手の大阪の高校生と連絡を取り合ったらしい。だが、自分の写真を送ったとたんに反応なしだ。高校生ではなかったのではと思ってしまう。

アンプの修理を頼んだ野村さんが、アンプを持ったままキャサリンと行方不明なので、諦めた父は、正直に話そうと岡社長に会いに行くと、そこには無いはずのアンプとスピーカーが配置されていた。

CDをかけてみると、その音は修理のとき使ったオシロスコープの波形のようだ、エレクトリック!

という感じの物語だ。だいぶかいつまんだので、テイストは実際に読んで味わってほしい。
第169回 芥川賞候補作なのだから。

印象に残っているのは、口数が少ないが腕はいいエンジニアで、扱い難い野村さん、それに逆らわずうまく合わせる達也の父、わりとメンタルは強そうというか鈍い達也が織りなす1995年ごろのちょっと東京に近い栃木周辺の田舎の生活模様であろうか。

書籍情報

・形式   単行本
・出版社  株式会社新潮社
・ページ数 168頁
・著者   千葉雅也
・発行   2023年5月30日
・分類   文芸作品

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著者情報

1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。哲学/表象文化論を専攻。フランス現代思想の研究と、美術・文学・ファッションなどの批評を連関させて行う。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。
『動きすぎてはいけない——ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』は博士論文を元にしたもの。紀伊國屋書店じんぶん大賞2013、表象文化論学会第五回学会賞。(ネットの情報から)


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