悠々として急げ

 ~未知との遭遇 in books & libraries~

羽生飛鳥 蝶として死す 平家物語推理抄 平家の全盛から源平の争乱へとなだれ込んでゆく時代に、推理力を武器に生き抜いた頼盛の生涯を描く、歴史ミステリー連作集

 

あらすじと拙評

平安時代の終わりの優美な風情の描写を楽しむか鎌倉武士や西国武士の様子の描写を楽しむだけでも良いかと思われる物語であるが、そのなかで立場も平家で唯一生き延びた頼盛を主人公とし、数々の謎を、どれも一旦は不利な状況に追い込まれながら、さらに一ひねりした真相を見せてくれるのである。
 これは、時代小説ファンと推理小説ファンの両方を満足させてくれる贅沢な作品である。


◆禿髪殺し(かぶろころし)

嘉応元年(1169年)、朝廷の高位高官は平家一門が占め、この世の春を謳歌していた。ある日の朝、六波羅殿(清盛)の禿髪(かぶろ)が、野犬に喰われていた。
 禿髪とは、清盛が平家一門を誹謗中傷する者達を取り締まるために、都中に放った赤い衣の少年たちのこと。その場に居合わせた老僧は、京童(都に暮らす部類の徒の総称)にこのことを、池殿(清盛の異母弟の頼盛)に知らせるよう依頼した。冷遇されている池殿に再興の機会を与えることで、たっぷりと褒美を頂く算段をしたのである。

 頼盛は、京童に老僧が待つ現場へ案内させた。頼盛は老僧と京童に褒美を与え、下手人の推察を始める。家来に調査の指示をして、清盛の元へ。話を聞いた清盛は、頼盛に下手人調査を任せるという。
 そして、下手人として捉えた“紅梅尼”が言うには、自分は、さる姫君に仕えていたが、姫君は亡くなり、その屋敷に住み着いていた。人々に頂いたお布施を持って帰宅した際、屋敷から姫君の形見の文箱を盗んで逃げる禿髪に遭遇し、文箱を奪い返さんと追い詰め、殺してしまったという。言い逃れする紅梅尼を頼盛はじっくりと論破し、自白へと追い込んだのである。だが、禿髪は文箱を持っていなかったという。

 頼盛は「禿髪殺し」の下手人を捉えたばかりか、「盗まれた文箱」という新たな切り札(情報)を手に入れたのである。朝廷へ復帰するために使えそうな「姫君の文箱」は、平家一門の重要文書であった可能性が高く、これの捜索を弥平兵衛に命じたのである。
 頼盛は、紅梅尼が住み着いていた屋敷を調べ、藪の中に文箱を発見するが、中身の手紙は無くなっていた。ところがその文箱を閉じようとして、からくりの蓋が開き、そこから古い文書が出現した。内容を読んだ頼盛は固まった。

 さて、頼盛は禿髪殺しの下手人と古い文書の手土産をもって清盛を訪ねた。
 なんと、その文には、未だ素性が分からない清盛の生母が書いた人生の記録だったのである。
 清盛は、頼盛が未だ見ていないというその文を受け取ると、なんと燭台の火で一瞬にして燃やしてみせた。そうだったのか。正室の子の頼盛の前で、素性不明の己の母の名や出目が記された五十年来の証拠を抹消し、己の出目の弱みをこの世から排除したのである。頼盛は、朝廷復帰の言質を得たものの、清盛がほんとうに怖くなった。

◆葵前哀れ(あおいのまえあわれ)

清盛の子、平徳子の配偶者の高倉天皇の寵愛を受けたのが、葵前である。
最近、主上(高倉天皇)の御召しがない。
 葵前は、主上からの和歌が綴られた鳥の子紙を受け取ってすぐに体調を崩し、わずか四、五日で息を引き取ったのであった。

 その高倉天皇は、御年十八歳。今は、池中納言(頼盛)から香の講義を受けている。主上(高倉天皇)はその講義で薬、とくに毒薬に関する知識を聞きたがった。
 頼盛は、高倉天皇ともっと近くなれば、清盛とその妻の妹の健春門院に邪魔されている朝廷復帰の見込みが高まると考えた。

 高倉天皇が毒薬に関することを聞きたがったのにはわけがあった。幼少のころ寵愛した亡くなった葵前(あおいのまえ)の遺骨がどれも黒ずみ、柔らかくなっており、葵前(あおいのまえ)は毒殺されたと疑っていたのである。
 さっそく、五石散を服用して、禁忌を犯した場合の症状や骨の変化についてお話したところ、高倉天皇は葵前が毒殺されたと確信し、頼盛に葵前毒殺の下手人を見つけてほしいと頼んだのである。

 頼盛はこれを朝廷復帰のための恩を売るいい機会と考えた。
 そこで、頼盛は下手人の候補を順に挙げて行くが、高倉天皇はどれも不可能だと反論するが、粘り強く考証し、ついに原因を突き止めた。それは、驚くべき真実であった。

 頼盛は高倉天皇の信任を得て、無事帰途に着くが、途中、なんと清盛の一行とすれ違う。
 神戸に居るとばかり思っていた清盛の牛車の登場で、頼盛は驚きを隠しつつ、清盛と言葉を交わすが、なんと今回、高倉天皇に頼盛が会いに行くように仕向けたのは清盛自身であること、葵前毒死の真相はとうに見当がついていたことを告げられ、打ちひしがれる。まだ、自分は清盛の弟として蛹(さなぎ)のままの運命に耐えねばならぬのか。

 だが、頼盛は清盛がこの寒い真冬に裏のない単衣一枚しか着ていないことから、清盛が五石散を飲んでいると気付いた。遠からず、清盛はいにしえの異国の皇帝たちのように、命を落とすと思われた。
 清盛の牛車は、まだ明けきらぬ暗い空の方へ、頼盛の牛車は金色に輝く日の出を目指し、進んで行く。どちらの運が強いかは、天のみぞ知る。



◆屍実盛(かばねさねもり)

1183年6月、越中国(現富山県)の俱利伽羅峠の戦いに敗走した平家軍は、加賀国(現石川県)の篠原で、木曾義仲に追い付かれる。義仲は、家人が打ち取った武将の首を見て、悲嘆にくれたのである。

 同年9月、義仲は入京した。
 頼盛は、八条院御所に住まわしてもらっているが、義仲の士卒に見張られている状況となっていた。そしてついに頼盛は義仲に呼び出された。
 はたして、宣戦布告か死罪通告か。
 木曽義仲に会ってみると、そのような策略めいた男ではないことが分かり、頼盛は安堵した。そして知恵者で名の通っている頼盛に、1183年の加賀篠原の戦いで打ち取った斎藤別当実盛の屍を、五体の屍の中から特定してほしいという。

 三ヵ月を経た死体の見分など、ましてやこの時代に無理な要求である。
 そうこうするうちに、義仲に平家追悼の院宣が下りたのである。自分の命も危うい頼盛は、刀傷の向き、部下の弥平兵衛の手指を見て得たヒントなどから、見事に斎藤別当の屍を特定してみせた。
 加えて、頼盛は、都脱出を図り、まんまと成功させたのである。
 その脱出決行の合図は、全く不自然さを感じない見事なものだったのである。

◆弔千手(とむらいせんじゅ)

御所の一角にある、一ノ谷の合戦に敗れて囚われた平重衡(たいらのしげひら)を幽閉した建物から、妙(たえ)なる楽の音(ね)が響き渡ってきた。遊女で官女の千住前(せんじゅのまえ)が死罪を免れない重衡を慰撫していたのである。官女の年の頃は、二十歳前後。

 同年、鎌倉の由比ガ浜に一艘の船が到着し、船から下りてきた貴公子に人々はくぎ付けになった。
 それは、正二位 池前大納言 平頼盛卿であった。
 頼盛は、今は亡き平清盛の異母弟であり、分家の池殿流平家の家長である。
 前年の1183年、木曽義仲の進軍により平家一門が都落ちした際、頼盛は平家一門と袂を分かち、過去に恩を施した源頼朝を頼り生き延び、このたび頼朝の招きで鎌倉入りしたのである。

 頼朝の長女の大姫は、以前に知り合った頼盛に懐いており、頼盛も大姫に会うのが楽しみであった。
 ところが、鎌倉に来てから大姫の姿が見えないので、そのわけを頼朝に聞いた。
 頼朝がいうには、木曾義仲の嫡男の義高を、大姫の婿に迎え入れる予定であったが、木曾義仲が法皇様に弓を引く暴挙に出たため、義経は木曾義仲を討伐し、逃げる人質で大姫の大事な木曾義高をも討伐してしまったとのこと。
 義高を慕っていた大姫は心痛のあまり、飲食を絶って臥せっているという。

 そこへ、突然大姫が現れ、「今、義高様のお話をしていたでしょ」という。なんと頼朝は恐怖とも畏怖ともつかぬ眼差しを大姫に向けている。
 頼盛は、娘がこのようなことになると深く考えずに、義高を討たせた頼朝に怒りを覚えた。
 頼朝は、遠く離れた部屋にいる大姫が、いつも義高の話をすると、それに気付いてやって来るので、娘が何かに憑りつかれたのではないかと考えて恐れていたのである。
 ことの次第を承知した頼盛は、この謎を解いていく。

 あとで読み返せば合点がいく記述があるのだが、雅(みやび)な?源氏の話を読んでいる間は、当時の風景や登場人物を、まさに今NHKで放送されている『鎌倉殿の13人』に置き換えて楽しんでいたため、すっかり見落としてしまった。

 最後に黒幕が言うことばを心に刻んでおきたい。
『-- 弔いとは、死者を偲び続けて泣き暮らすことではございません。弔いとは、今を生きる者へ、死者の存在を突きつけ、その者に自らの生き様を考えさせるものです。わたしが義高様を弔い続けることで、頼朝様に、「あなたにはこのように弔われるような値打ちのある生き様をされていますか。」と問う意趣返しをし続けるのです。』

◆六代秘話(ろくだいひわ)

北条時政が頼朝から与えられた任務に、平家の残党狩りがあった。
 平家一門は、色白の美男子ぞろいのため、その血を引く男児なら一目で分かるはずだったが、見つけた者には褒美を出すとおふれを出したため、貧乏な民たちが色白の男児を差し出すことが相次ぎ、時政は困っていた。
 そんなとき、貴族に使える女房が時政のところへきて「六代君(平清盛の嫡流の血を引くひ孫の六代)の隠れ場所を存じております」という。そして時政はその居場所を聞いて絶句した。

 そのあと時政が訪ねたのが、池殿流平家の本宅八条室町邸であった。
 最初の世間話で「義時は誰に似たのか凡庸で覇気がない」と頼盛に愚痴っており、NHK大河ドラマの小栗旬の顔を浮かべながら、納得した。

 そして、時政は頼盛の7人の子たちの話に入る。長男・保盛、次男・為盛、三男・仲盛、四男・知重、五男・静遍、六男・保業、七男・光盛のうち、俱利伽羅峠の戦いの折、総大将の平維盛を落ちのびさせるために、奇襲をかけて討ち死にした勇猛果敢な武士が、為盛で、そこに居るのは、討ち死にされた為盛の素性を与えられた、六代君(平清盛の嫡流の血を引くひ孫の六代)ではないかという。
 生きていれば、二十歳過ぎ位のはずが、現に目の前にいる為盛は十二歳ほど、いくら童顔の家系と申されても説明がつきませぬと迫って来る。

 頼盛が西国武士と東国武士の行動の違いについて語る。東国武士は親子で分かれて生き延びようとするが、西国武士は共に討ち死にする風習を語り対抗するが、ついに動かぬ証拠を突きつけてきた。
 「では、俱利伽羅峠にある弔いの為盛塚はなんでしょう」、と。

 答えに窮した頼盛に、時政は三日の猶予を与えて帰って行った。
 そのとき、写経していた紙を握りしめていたため、手に墨が付いてしまっていた。
 頼盛は、かつて厳島神社との血縁(仏との縁を結ぶことで死後の成仏を願う行為)を結ぶために、七人の兄弟の手形を奉納していたことを思い出したのである。

 この手形を証拠に為盛が六代君ではないと証明するのだが、事の真相は、さらにひとひねりされたものであった。

 みごと池殿流平家の危機を救った頼盛はこの世を去る。そして七人の息子たち?は、頼盛の墓へ四十九日を参る。都近郊の山に上り着いたとき、都を一望できる頼盛の墓所の石塔に止まる美しい大きな蝶を見たのであった。。。

 

羽生飛鳥(別名義 斎藤飛鳥)さんのプロフィール(本書の紹介文より)

1982年神奈川県生まれ。上智大学卒。2018年「屍実盛(かばねさねもり)」で第15回ミステリーズ!新人賞を受賞。『平家物語』や謡曲『実盛』にも取り上げられている斎藤別当実盛の最期を題材にした同作は、特異な状況下での「被害者当て」を描いた本格ミステリとして高く評価された。2021年同作を収録した本連作短編集でデビュー。歴史小説と本格ミステリの巧みな融合を追求する、期待の新鋭。また、児童文学作家としても活躍している(齊藤飛鳥名義)。