Eugene O’kelly 有賀裕子[訳]
Chasing Daylight ~光を追い求めて~
本の概要と感想のまえに
アメリカ四大会計事務所の一角であり、一世紀余りの歴史を持つ会計事務所KPMGの会長兼CEOであった著者が、五十三歳という若さで、突然余命三ヶ月を告げられたのである。
これから紹介する話は、その男 オケリーが “彼”として登場してきます。
人生の贈り物
娘ジーナが中学二年の始業式を迎える九月の初めには、私はおそらくこの世にはいない。
死の足音を聞きながら体験した様々な事柄を、もっと早く知っていたなら、経営者としての、そしてまた人間としての器が広がっていただろう。
最後の大仕事にこのように心して取り組みながら、私は願った。この大仕事が、人生で最良の三ヵ月に花を添えるだけでなく、近しい人々にとってもよい経験になってくれたらと。私は幸運な男だ。
生き続ける前提で立てた目標など、できるだけ早く捨ててしまったほうがいい。
むしろ、新しい目標を立てなくてはならない。それもすぐに。
彼は、死に対して前向きであったようだ。
死を待つという経験について学んだことを、ほかの人々に余すところなく伝えるのが自分の責任だと考えるなんてことは、並みの人間ではできないだろう。でも、彼はそれを為すのである。
運命の宣告
ここまで進行してしまっていては、デバルキングすらも無理ですね。
一週間前まで、バリバリ働いていた男が、ストレスによる顔面神経痛だろうと思って受診した結果が、これだった。
(注)デバルキング:腫瘍が一度では除去し切れないほど広がっている場合に、できる限りの範囲で切除すること。
天国への険しい階段
歩くにも、視界の右は見えず、服を着るのも一苦労で、その姿を見ていた娘の気持ちは如何ばかりかと思った。
娘が知っている “切れ者でかっこいいお父さん” ではなかったはずだ。
化学療法を受けることで、彼は自分を痛めつけていたことに気づく。
化学療法をやめたことで、心地よさが得られたばかりか、重荷が取り払われたという。
美しい死に花に乾杯 ~ 一流の 経営者 が、死に際に 何をすべきか を語る ~
彼のようなリーダーが、「死の直前に向けてやらなくてはいけない仕事のリスト」を作ったという。
それは、
・法律・財産関係の整理をする。
・知人や友人と別れを交わす。
・すべてをシンプルにする。
・一瞬一瞬を大切に生きる。
・素晴らしいひととき、極上のひとときを紡ぎ出す。また、そのような時間を逃さない。
・来世への架け橋を渡り始める。
・葬儀の段取りをする。
これまでずっと、人生の大切な場面では常に献身を心がけるべきだと信じてきた、という。
献身の大きさは、費やす時間ではなく、どれだけの熱意を傾けるか、どれだけ対象に寄り添うかによって測るべきである、と考え直す。
死が迫ったときは、時間ではない、このような発想の転換が必要らしい。
そして、さらに考えは変わって行く。今ではむしろ、(献身よりも)明晰な意識を持っていればすべてが前向きに変わる、と。
凡人のわたしは、うまく着いて行けない。
美しい別れ
彼は、前章でのやらなくてはならないリストの二つ目、「知人や友人と別れを交わす。」に取り掛かった。
彼は、「別れ(死)はほとんどの場合、相手と私の両方に大いなる安らぎをもたらしてくれる」と述べているが、わたしは同意できそうにない。
彼は述べているが「死期が近いという私の運命と関わりたくないと思っているのではないか。実際には、これは杞憂だった。」というが、普通なら関わりたくないと思うだろう。
もし、これがほんとうに杞憂だったのなら、彼の知人・友人らは、とてもいい人ばかりか、金銭的にも精神的にも余裕たっぷりの人たちではなかろうかと思ってしまう。
彼のように、知人・友人との別れを「極上のひととき」に演出できたのは、気力だけではなく、彼自身の財力に依るものだと思うが、その演出を非難するつもりはない。
旅立ち
彼は、意識を一点に集中することに苦労していたが、ついにその方法を発見する。
それは、噴水の音色があればできる、というものだった。音が大切?
まず、水をみつめる。そしてまぶたを閉じる。来世に意識を集める。すると空想の中で来世が体験できる、という。音ではない!?
彼は、放射線治療を終えて、別荘に行く。そして孫たちに手紙を書く。高校を卒業する日に渡してくれと妻に頼む。
彼の親族は、次々に別荘を訪れ、最後の「極上のひととき」を過ごすのだった。
わたしには、孫がいないからよく分からないが、病気になった時点の彼よりは年上なので、この年齢でこの手紙の話はこたえるが、人生の最後を別荘でゆったりと身内と過ごして終わるというのは、たしかに理想の形のひとつだとは思った。
別荘を持っているという条件が必要であるが。。。
光を追い求めて
この章は、彼の妻による。
だんだんと、何を言っているのか分からなくなっていた夫との会話をノートに書きとめるようになっていた。
ついに、死を受け入れ始めた彼は妻にこうつぶやいた。
「素敵な人生だった。」
妻は医療の仕事をしており、彼には「恐怖を乗り越えれば死に打ち勝てる」と知恵を授けていた。
夫はついにそのメッセージを受け入れてくれた。わたしには、(当然ながら)まだ理解できない。
「わたしのもとを去る用意はできている?」
「ああ」
すごすぎる。
彼が、娘に残した教えは「心の目を見開かずに生きても、それはほんとうの人生とは言えない」である。
彼の最後までの生きざまは、少しでも努力をすれば、わずかずつでも人生に光が差し込む、と教えてくれたのである。
大抵あるという断末魔もなく、穏やかに旅立ったらしい。
これほど、自分の人生を最後までコントロールできた人は、まずいないだろう。
それが、すばらしいのかどうかは分からないが、彼とその家族と知人友人にとっては、すばらしいことだったということは分かるのである。
あっぱれ、オケリー。
〆