著者 高山羽根子 書評・感想
如何様
世田谷、時代は戦後すぐ、アトリエ・ヴェルデの一角に平泉タエは居住していた。
倉庫のようでも、屋根と壁がありがたい。
タエは夫の貫一の両親と暮らしている。
(この時代の女性は、こんなにも寂しく辛い境遇が普通だったのだろうと思えば、自分のことを棚にあげて、今時の女性にもこのことを知ってもらいたい、などと偉そうに思うが、自分も遠く離れた母からの電話相手は妻にまかせっきりである。(-_-;))
記者の私は榎田ではない。記者で探偵で、女性だ。
その使命は、戦後日本の様子をなるたけ詳細に記録すること。
貫一は、復員し、空襲で焼け出された四谷からこのアトリエの多い世田谷地区に移り住んでいた。
このアトリエ倉庫は、榎田という男がいた美術系の出版社の所有であり、貫一が榎田と縁があったため、この倉庫の一角を間借りしていた。
タエさんが嫁いでいたのと、入れ違いに夫の貫一が出征したため、復員して来るまで夫の顔も知らなかったという、現代ではありえない日本の慣習であった。
この状態で、義父母の世話をしているタエさんは、二十歳くらいであろうか、すごい人である。
さて、記者で探偵の私の使命は、復員した画家の平泉貫一の姿が、まるで別人だったということに端を発する。榎田も別人だという。復員詐欺も流行っていたので、要警戒である。
だが、彼は復員後、しばらく絵の制作をするふりをしたあと、姿をくらましたのである。
つまり、私は榎田に頼まれて、この替え玉事件を探りに来たのであった。
貫一の両親は、家やら息子やら全てを失っていたので、復員した息子が替え玉だろうと、そいつを頼りにするほかは無かったのである。
ちょっと調べると分かったが、貫一には結婚前から妾がいて、いまも続いているという。
じゃ、タエさんはどうなるんだ、と読者の私が吠えてもしょうがないか。
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荏原。こちらの空襲は酷かったらしい。
そこの喫茶店に、私は金城クマから呼び出された。クマは似非ブランデーを舐めている。
貫一より一回り年増の妾である。そして貫一とタエは十も違う。だから妾と新妻のタエの歳の差は二十以上!
ばかげている。私はタエより二つほど年上だから22、3か。
やはり、その妾の女はふてぶてしかった。
この女のそんなところも、探偵依頼人の榎田は気に入らないらしい。
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画廊主の勝俣を取材すると、彼は復員してきたのは、まちがいなく貫一だという。
それは、彼の姿を見てのことではなく、復員後の作品、画風を見てのことだった。
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部隊長だった佐野周五郎を取材する。
だが、体を壊した貫一がすぐに部隊を抜けてしまったため、記憶はあいまいだった。
軍医、加藤卓の記憶は、さらに曖昧だった。
普通なら除隊にしてもいい貫一を小野寺分隊長が来て連れて行ったという。何か思惑があったようだと加藤は言った。
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その小野寺分隊長を取材するまで苦労した。
どうやら、その特殊部隊のせいゆえか、と推測する。
実際に貫一に作業指示を出していたのは、分隊長補佐の木ノ内という男だったらしい。
かねてより貫一が希望していた嘱託画家でもなかったようだ。
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私は、依頼人の榎田に、調査結果を報告した。
すると、榎田がしぶしぶ白状し、貫一は贋作も得意で、それで稼いでいたという。
となると、榎田が引っかかっていたのは、貫一自身が贋作になってしまったという、見方によれば、面白い心配であり、本物の貫一を探し出したくなったということなのだ。
まあ、分かるような、分からないような気がする。
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画廊主の勝俣を再訪問すると、榎田が贋作のことまでわたしに話したことに驚いていた。
そして、贋作の行為自体は、米軍の関係者が日本の美術品を買いあさって、わずかに残った日本の大切な美術品が流出するのを防ぐための必要悪だったとまで言った。
本物と偽物とは何か、哲学的に考え出すと、どうでもいいように思えてきた。
(たとえば、版画は原版の方が本物で、刷られた方は偽者か、という例えも書いてあったが、分かる気もする。)
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とにかく私は、貫一が戦争に行ってから帰って来るまでの、どこで彼が変容したのかが知りたいだけだが、そうすると彼の周囲の人に話を聞くほかはない。
分隊長補佐だったの木ノ内から連絡が入った。
彼は文系の大学研究室にいた。
そして、信じられないくらい、以前とは人が変わったように、秘密にすべきことまで話しだした。
木ノ内が貫一に頼んだのは、偽造だった。
入国許可証、報道資料、ビラ、有名人の直筆模写など、不穏な企みのための仕事だった。
相手の国内を混乱させるもの。
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私はタエと会っている。
タエにしてみれば、今の平泉貫一が本物だろうと偽者だろうと、初めて会ったので、どちらでもよかった。むしろ、今更別の平泉が現れても困ると言った。
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さて、いままでの出来事をどうやって整理するのか、悩む私。
そして、取材の中止を雇い主から言い渡されて、二年が経過した。
私はやはり、人探しをしていた。誰を?
いや、出征前と復員後の男が同一人物かどうかを調べていただけだ。
同一人物なら、いつ、どのように変わったのか、を探していた。
そして、二年ぶりに取材の血が騒ぎだした。
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私は、タエが世田谷から移り住んだ小田原へ向かった。
久しぶりなのに、タエには私がすぐ分かったようだ。
丘に登り、景色を見ながらタエと話し込む。
そして、「来てくれてありがとうございます。」と言う。
平泉と私は、押しつけがましくないところが似ていると言う。
もう、彼女にとっては、平泉が本物か偽物かなどやはりどうでもいいことのようだった。
(感想)
さて、どうしたものか。どう感想を述べたらよいものか。
最後は、丘の上の風が心地よく、お金などへの執着もない、若きタエの姿に、なにか気持ちのいいものを感じている(読者の)私です。主人公の私も同じような気持ちだろう。
なんだろう。著者の言いたいことは、「幸せとは何か」のひとつの例のようなことだろうか。
主人公の方の「私」は、雇われ探偵の身でもありながら、個人的興味もあって、平泉貫一を取り巻いた人々を訪ね歩き、「人間って戦争でこうも人相が変わるのか」と考えたり、貫一が国から依頼されて製作していた贋作に関しても、もう別にいいじゃない、といった心境にもなっていて、読者の方の「私」は、今の社会の「コンプラがどうの」と言って口うるさい都会にいると、ふと故郷に帰って自然のなかで、ぼーっとしてみたいような気も一瞬よぎるが、いや、いまさらとも考えつつ、やっぱり年老いた両親のこともあるし、とか複雑な気持ちになった。
この作品で、高山羽根子さんを読むのは、二冊目だが、芥川賞作家であると、ようやくしっかり認識したので、また受賞作でも読んでみたいなと思うのである。
ラピード・レチェ
私、レイコは、日本の駅伝というスポーツを教えるために、この国に来た。
最初にできた友人は、アレクセイという。
アレクセイは、カフェの店主。
レイコは、牛乳を毎日飲んでいたので「レチェ」(牛乳)と呼ばれた。
外国人用の共同宿舎は、日本のアパートより立派だった。
その国は、いろんな国のスポーツや文化を取り入れようとしていた。
アレクセイは、麻雀文化?にも興味があり、レイコに麻雀は出来るかと聞いたが、できないと返事したら、がっかりしたようだった。
エイコは部屋の家具が、IKEAの家具にそっくりなのに気が付いて思った。
「その社会で、どうがんばってもふつうに暮らしていたら手に入らないもののニセモノを作ることに、正義の意識はどう発生するんだろう」
この言葉は看過できないと思った。そう言われると、読者の自分が子どものころも、ニセモノがそんなに悪いことだという感覚はなかった気がする。なんでもありだったな。
大人は怖かったし、子どもは何も知らなかった。今は情報過多もいいところだ。大人のアドバンテージは無いし、大人は他人の子を叱れなくなった。いいとは思えないが、悪いかどうかも分からない。
レイコは、駅伝の先生として、集めた選手たちを指導している。
選手のひとりは、どうして別々に走るんですか。みんなで一斉に走って時間を合計すればいいじゃないですか?と聞いてくる。文化を伝えるのは難しい。
たしかに選手が言うことも合理的だが、それでは物語が生まれないし、読者の私は駅伝の予選会みたいだと思った。
で、マオイストって何だ? この国はどこだ?
最後は、レイコがマオイストに追い付こうと走りすぎて、倒れそうになるところを、アレクセイに助けられて、何か食べに行くところで終わる。いろんな謎は謎のままだ。私の読解力が無いのかも知れない。
このすうーっと終わるような感じは何だろう。
この物語で語りたかったことは何か?
著者プロフィール
1975年富山県生まれ。2010年「うどんのキツネつきの」で第一回創元SF短編賞佳作、16年「太陽の側の島」で第二回林芙美子文学賞を受賞。2020年、「首里の馬」で第163回芥川龍之介賞受賞、第33回三島由紀夫賞候補。著書に『うどんのキツネつきの』『オブジェクタム』『居た場所』『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』がある。(本書の情報より)
心に残る名言、話
「贋作の行為自体は、米軍の関係者が日本の美術品を買いあさって、わずかに残った日本の大切な美術品が流出するのを防ぐための必要悪だった。」
→なるほどね。
「版画は原版の方が本物で、刷られた方は偽者なのか」
→版画は、たくさん刷っても、全てが本物!?
「その社会で、どうがんばってもふつうに暮らしていたら手に入らないもののニセモノを作ることに、正義の意識はどう発生するんだろう」
→「ひとの勝手だ」という古い意識と、「コンプラ違反だ」という新しい意識が、私の中でせめぎ合っています。
書籍・著者情報
・形式 単行本
・出版社 朝日新聞出版社
・ページ数 152頁
・著者 高山羽根子
・発行 2019年12月30日
〆