悠々として急げ

 ~未知との遭遇 in books & libraries~

汚れた手をそこで拭かない 芦沢央


表紙のデザインが気になる。グレーのような中にピンクのバラの下には白く爪だけが赤い両足首が右手に乗っている。手と足の間には有刺鉄線があり、裏表紙にのびて黄色の小さな花になっている。 

この本を読んで、記憶のためのあらすじと感想を残しています。じっくり読みたい方はご注意ください。

この五つの短編集に、このタイトルを付けたのは、どういう意味だろうか。

目次:


1
.ただ、運が悪かっただけ

襖を開け閉めするような音とは、鉋削りの音である。
妻は、一年前の55歳健康診断で、要精密検査となり、余命半年と言われ、まだ生きている。

義父が死んだときに、姑にひどいことを言われた。非常事態にこそ本性が出るというが、非常事態のときに出るのは非常事態の感情であって、それが人の本質や本音だと考えるのは早計だという意見には、半分賛成する。

妻は、夫にこの際だから、抱えている苦しいことは、あの世に持っていくから話しておいてと言う。夫が語り出した内容は、思いもかけないことだった。

「俺は昔、人を死なせたことがある」

工務店で働いていた夫は、よくクレームをつけてくる中西という男に手を焼いていた。
いいように使われるようになり、家の電球まで変えさせられる始末だった。
あるとき、その電球を変えるために、会社の大きな脚立を持ち込むが、今度はその脚立を置いていけと無茶なことを言われてしまう。

だが、その半年後、中西がその脚立から落ち、頭を打って死んでしまう。
警察は、脚立に欠陥があったためだという。
真面目な夫は、譲り渡した脚立をちゃんと点検しておけば、中西は死ななかったと悔いているのだ。自業自得だと思うが。。。

「理屈くさい」と姑に言われていた妻が、その理屈くささ(推理力)で、夫が苦しむことではないと、病床で解き明かして見せた。。。

中西には、結婚を反対した娘がいた。20年ぶりに帰ってきて、建て替えた家を見せるために、中西はその脚立で電球を変えようとした。脚立を運び込んだのは娘であった。彼女は脚立を準備する際に、一方が破損していることに気づかぬはずはなかったのである。
 

2.埋め合わせ

小学校に限らないだろうが、先生はいろんなことで大変そうである。学校のプールの水をうっかり消失させてしまったら、個人賠償だという。
250万円の倍賞例をみて、ぞっとする。千葉先生はそれをやってしまったらしい。

千葉先生は、プール日誌に、「排水バルブ」のチェック項目があるのに、深く考えずに習慣で〇をつけてしまったのである。

千葉は、正直に教頭に言いに行くが、タイミングのせいか、言いだし損ねて、隠ぺい工作を巡らせてしまう。

運の悪いことに、同僚の五木田先生に、隠ぺい工作の途中で見つかってしまう。五木田先生からギャンブルの競馬で30万円もスッてしまって、奥さんに言い訳ができないという話を聞かされるが、五木田先生本人は至って落ち着いている。

隠ぺい工作として千葉先生が妄想した内容は、五木田先生にひとつずつ潰されていく。もうだめだと思った瞬間、なんと隠ぺい工作を手伝ってくれるという。

五木田先生に隠ぺい工作を頼んだ千葉先生の運命は。。。

とんだ埋め合わせだ。いや、五木田先生にとってはギャンブルの埋め合わせだが、千葉先生にとっては、より深い墓穴を掘ってしまったことになった。

事故を報告する教育委員会からの通知には、実名が出ない。このことから五木田先生は自分のギャンブルの使い込みの妻への言い訳方法を思いついたのである。
千葉先生の事故を隠ぺいせず、教育委員会からの通知に載るように仕向けて、妻への言い訳に転用することにしたのである。

嘘は良くないよ、という現代版の怖い道徳小説である。

3.忘却

武雄、妻、息子の和雄(脳梗塞で他界)、孤独死した隣の笹井さんと近くの息子、全八戸のアパートの住人が登場人物である。

隣の笹井さんが猛暑に「エアコン点けず」熱中症で孤独死した。
武雄は、笹井さん宛に来た送電停止警告のはがきを持っていた。

誤配達されたはがきを認知症の妻が笹井さんに返し忘れたらしい。

武雄は、そのはがきを捨てるために、コンビニへたばこを買いに行き、コンビニのごみ箱に捨てた。これで証拠隠滅のはずだった。

誰でも、自分は悪くなかったのだと思いたい。元電気屋だった笹井さんは、電気代を払っていれば、電気が止まることなどないと分かっていたはずだ。。。

笹井さんの葬儀の後から、妻が「何か忘れていることがなかったかしら」とよく聞いてくるようになったという。罪の意識か無意識か。。。

武雄は、エアコンの調子が悪くて、電気屋を呼んで修理してもらったついでに、先月から電気代が急に安くなったことを告げると、その電気屋はコンセントを調べ出した。そして言った言葉が、「どうやら、隣の部屋から盗電されていたらしいですよ。」 !!!

日常の中でそれ(盗電)があたりまえになると、意識すらしなくなる。そのせいで隣の家のブレーカーが落ちで、自宅のエアコンも切れて自分が熱中症で死亡するとは思ってもいなかったのか。自業自得か。

妻の声が今日も聞こえる。「なにか忘れていることはなかったかしら。」
忘れたいことは忘れられず、大事なことは忘れるのである。

4.お蔵入り

無名の映画監督の大崎の映画に、ベテラン俳優の岸野が出演してくれて、やっとクランクアップした。

だが、大崎はプロデューサーの森本から困った噂を耳にする。
もし、主演の岸野が薬物使用で逮捕されると、映画は公開中止になってしまうと。

監督の大崎、プロデューサーの森本、マネージャーの福島は、とある部屋で岸野を詰問した。
間違いだよと言ってくれるだろうと期待していた三人に対して、岸野はすまないと言ったのだ。残念ながら薬物を使用していたのだ。

怒りが沸騰した大崎は、岸野を6階のベランダに追い詰める。
大崎は、はずみで岸野を突き落としてしまうが、三人は結託して相互にアリバイを証明し合うことにした。

すると、思いもかけないところから容疑者が浮かび上がる。共演の小島である。
犯行当時にその6階の部屋から小島の声を聞いたと証言する者が現れたのである。
大崎にすれば、ラッキーと思いきや、共演者の小島が犯人でも映画の公開が中止になることは変わらないと気付く。。。

いずれにしても、その証言者の目的が分からない。

いずれ捕まるという思い、少しでも映画を見てほしいという思い、とは別の問題が絡んできてしまった。罪もない小島を犯人にしてしまっていいのか。

そして、証言者の女性が判明する。
伏線は、3年前のロケにあった。当時中学生だった日野さくらは小島が行ったロケで彼によって旅館の名物肉まんの宣伝に駆り出されたことがきっかけで、その旅館で働くことになっていたのだ。

そして、今回のロケで再びこの旅館を利用する小島に会うのを楽しみにしていた。
ところが、小島は全く日野さくらのことは覚えておらず、彼女は彼を犯罪の容疑者にしてでも、彼に会おうとしたのである。それが法廷の証言台であったとしても。
そんなことは、小島にとっては想定外である。なんと恐ろしい執着であろうか。

だが、しかし、物語は思わぬ方向へと展開する。3年前のロケから大崎の過ちは始まっていた。日野さくらは、小野に会いたいどころか、二度と顔も見たくなかったのである。

そうとは知らず、大崎は、日野さくらに会って証言を撤回してもらおうと行動に出た。
だが、皮肉にも、彼女が小野の声を聞いたという偽証を取り下げて、本当のこと言うと、大崎の犯行が立証されてしまうというロジックになっていたのである。

女性の恨みは怖いという教訓か?
映画キャストの身辺調査はちゃんとしておけという教訓か?
大臣の身辺調査も。。。

5.ミモザ

握手会に、昔の彼氏が来て動揺する市川美紀子、みーこ。(旧姓荒井)。彼の名は瀬部庸平。

美紀子は趣味で書いていた料理ブログが話題になって、料理本を出版してベストセラーとなり、握手会を開催する。そこに瀬部がやってきたのである。

瀬部は、美紀子が学生の頃にアルバイトしていた会社の人で、当時は既婚者だったが、彼と付き合っていた。

自分も結婚して、もう瀬部のことは忘れたはずであった。。。

握手会でもらったものにメッセージが書いてあった。「向かいのバーで待つ」と。そして、行ってしまった。
バーで聞いたところ、瀬部は仕事を辞めて、仏師に師事しているという。
しかも、離婚したという。

すでに既婚者となった美紀子にどうしろというのか。
稼ぎも少ないので、30万円貸してほしいと言う。
かつての彼が惨めに見えた。

借用書を、何故か彼が持ち去ったことに気づいたときは、お金は返って来ないと思ったが、1か月後に連絡が来て、また同じバーで会うことになる。
彼から、旦那のことを聞かれて、買い過ぎて腐ったものを、こっそり捨てて食べたよと言ってくれる優しい夫だと答えた。

ここからが、ブラックな展開である。なんと彼は借金を返すどころか、さらなる借金を申し出てきた。拒む私に彼は言う。30万も元カレに貸していることが旦那にばれたらどうなるかなあ。。。

そのあと、美紀子は元カレからの連絡を無視し続けると、なぜか元カレが家のドアの前に立っていた。こんなところを近所に見られてはいけないと、自宅に上げてしまう。

このあとの展開は、手に汗握るサスペンスドラマである。
もうすぐ旦那が帰宅する時間だ。。。

何も悪いことをしていないはずの美紀子に起こった不幸な出来事なのである。
いつあなたに起こらないとも限らない。

稼ぐようになって有名になったら、油断大敵。。。