こころ動かす経済学 日本経済新聞社

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小難しくて近寄りがたい。そんな印象を経済学に抱いている人たちに、実は経済学って身近な問題を読み解くヒントになるということをこの本で言いたいようだ。入門というか取っ掛かりとしては面白いアプローチであるし、これが本筋かもしれない。

それで、思いついたテーマが「こころ」。経済格差や将来の不安に対するよりどころともなることに気づいてもらえるよう、新しい行動経済学の視点も含めて語られている。

目次

第1章 日本人は競争が嫌い? 精神性の特徴

 日本人の精神性と経済を考えるには、アダム・スミス著「道徳感情論」1776年が重要。西欧の経済学は利己心競争が根本原理である。
 行為者の立場に立つ非利己的な「共感」と、「自分であればどうするか」と考える距離感とのバランスが適切な道徳判断を生み出す。

 英国人は「適度な距離感」によって「和」を保つが、日本人は個性を軽視する「一心同体」によって「和」を保つ。

 他国との問題を考えるとき、適度な距離感と公平性を保ちながら、どこまで自分自身の問題として「共感」できるかというグローバルな視野で考えれば、無益で悲惨な戦争を回避できる可能性が高まる。

 「道徳感情論」の4つの徳目:「思慮」「正義」「善行」「自制」
 「思慮」とは自らの幸福や利益を合理的に追及することで、経済活動と国富増大の原動力である。

 経済学の道徳論で、「正義」の徳が「機会の平等」を求めるとすれば、「善行」の徳は「結果の平等」を促す。
 富裕者(強者)の慈善活動には共感し易いものの、他人(弱者)の苦しみや悲しみは、第三者の共感を得にくい。なぜなら、多くの人は「善行」する資産もなく「見て見ぬふり」をするから。これらの傾向に抵抗するのが「自制」の徳である。

 現代の欧米社会は2つの「正義」の両立を追求している。「機会の平等」と「結果の平等」である。いつのまにか「結果の平等」も「善行」から「正義」になった。
 日本での格差や貧困の議論は、2つの「正義」の両立という視点が必ずしも十分ではない。「機会の平等」と「結果の平等」の二者択一の単純な対応ではなく、「自制」の精神が大切であり、人びとの共感の対象を(強者の慈善活動)から(弱者の苦しみや悲しみ)へと切り替える必要がある。

第2章 倫理観・価値観と絆

 倫理観と価値基準と経済学の関係を通じて、心の絆を深めるために政府や個人は何ができるのか?
 カナダの大学で行われた実験で、多くの人は自分のためにお金を使うよりも、他人のためにお金を使った方が幸福感を得られたという。
 戦後、欧米に追い付いたものの、人口減少が始まった今、それが国の財政危機をもたらし、災害も増え、いつ自分が弱者の立場になるか分からない状況になってきた。
 弱者を大切にすることは、共同体レベルでの利己性を防ぐことになるから、家族や地域レベルでの共同体の再生が重要である。
 倫理観・価値観を見直し、弱者を中心に据えた新しい共同体を形成するとき、消費や余暇に基づく満足度を個人が自由に追求していくと幸福になるという幸福概念を若者に押し付けてはいけない。

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第3章 男女の行動の違い

 女性の方がリスクを回避する傾向がある。昇進や職場での地位にも反映される。
 既存のジェンダー規範(自信過剰が男性を前面に押し出し、女性は控えめであるべきだ)に従わない女性を排斥する「バックラッシュ」と呼ばれる事例は数多く、女性らしさというジェンダー規範を離れて交渉することの費用対効果に見合うだけの見返りがその交渉には無いと判断するのが合理的選択となってしまう。
 経済的行動にも男女差が見受けられるが、性差別的処遇を正当化するものではない。

第4章 差別と偏見のメカニズム

 人が集まると人間関係が生まれ、偏見や差別が生じる。

 米国の経済学者であるゲーリー・ベッカは、差別と偏見の有無による4つの理念を考えた。
(1)差別しない、偏見なし ・・・真正進歩主義者
(2)差別する、偏見なし ・・・日和見進歩主義者
(3)差別しない、偏見あり ・・・偽善者
(4)差別する、偏見あり ・・・差別主義者

 偏見を持つ人間が差別的な行動を取れば市場から駆逐されると考え、差別を減じるメカニズムが働く。「差別主義者」→「偽善者」:「差別する」→「差別しない」
 黒人は能力の高低にかかわらず低い給料しかもらえない。「真正進歩主義者」→「日和見進歩主義者」:「差別しない」→「差別する」

家事分担について考察すると、一度男性が「家事をやらない」&女性が「家事をやる」という家庭内バランス(均衡)が実現すると、その均衡は安定的に推移する。

 差別と偏見は、我々の心次第である。アメリカのある外界から閉ざされた島の話は興味深い。その島は300年以上、先天性ろう者が多数派であったため、耳の聞こえる健聴者も手話を使わざるを得なかったとのこと。これは、「障害」の定義はその社会の人間関係で定義されるにすぎないということを気付かせてくれた。

第5章 希望の役割を科学する

幸福と希望は、人間が心を満たすための車の両輪のようなもの。
希望学(希望の社会科学)の成果から、誰もが希望を持てる社会を作るためのヒントを話そう。

人とのつながり(社会関係資本)が重要で、家族などの強いつながりとそうでない人とのつながりの両方が必要である。
挫折を経験して、乗り越えた人ほど希望を持っている。
失敗は成功の母、信頼(されること)は希望の母だ。

東日本大震災以降、日本人の希望は仕事から家族へと移りつつある。
日本では、自分の将来に希望を持っている人が減少しているが、日本社会に希望があると思っている人が増えている。(2007年と2014年の調査)
2021年の今となっては、少し古いデータと言えるのではないでしょうか。

ただし、中国への好感度が低い人が、日本社会に希望があると感じているようで、このような相対的な感覚であるならば、絶対的な希望度は下がっているのではないでしょうか。引き続きこの調査を進めて発表して頂きたい。

第6章 幸福とは何か

経済的豊かさと幸福度の関係の今までと今後どうなっていくかを話す。
電通総研の調査では、経済的豊かさと幸福度には相関があるが、一定水準を超えると相関が無くなる。つまり別の要素が働くのだ。
戦後の日本では、「豊かな家族生活」が幸福の基準であり、それに必要な商品をそろえることが大切で、これが高度成長期の基準であった。

しかし今、経済の高度成長は見込めず、若者の4分の1は生涯未婚だという。
もはや、高度経済成長期のような幸福は少なくなり、ボランティアなど他人が喜ぶようなことで、他人とつながり社会的承認を得る、それが新しい形の幸福となる。

すべての人に文化的に最低限の生活を保障するために、経済的な豊かさを維持しなくてはなりません。その上で、新しい形の幸福をサポートする仕組みを整えることが社会に求められていると思います。

第7章 幸福を測るポイント

 「幸福度」という指標は、データとしての安定性に欠け、実用性に乏しいと言われるが、このデータについて考える。(このような研究は、政策提言にも生かされる)
 貧困、少子高齢化、失業、ワークライフバランスなどの社会的課題を解決することで国民はより幸せになれるのか否か、どの要因の解決が最も有効なのかを確かめられる。

 自営業者は自己決定権の範囲が広いため、雇用者より仕事の自由度が高く、仕事を面白く感じる。

 裁判で、訴訟当事者は、調停プロセスが公正であると感じれば、不利な最低でも受け入れ易い。これを応用すれば、たとえば、空港建設反対の住民運動については、「単に金銭面の補償をする」というだけでなく、「住民の声をよく聞く」という戦略を取るということが考えられる。

 結婚している女性は精神的に幸せで生活面でも満足度が高いが、子どもを持つと精神的な幸せを感じるものの、生活面の満足度は低くなることが分かっている。

 自分の所得が増えたらうれしいが、他の人も増えたら幸福度は上がらない。

 幸せという感情は人類共通でも、文化や宗教の影響を受けることがある。

 研究の結果、幸福度を高めるには家族などの非金銭面も重要だが、幸福度に一番大きな影響を与えているのは所得であった。

第8章 「おもてなし」 心情をくむサービス

 語源的には相手に何かを働きかけるという意図を表すが、近年では、広く捉えて「サービスで顧客満足を高める姿勢」という意味で使われる。

 サービスの品質評価に4要因活用 
 ・満足要因  存在しなくても不満とならない。(例)顧客への援助、歓待、礼儀
 ・衛星要因  水準が低いと不満が出る。(例)安全性、利用のしやすさ、公平性
 ・両義的要因 満足と不満足の両方ある。(例)仕事力、会話力、迅速な対応
 ・中立要因  許容範囲ならどうでもよい。(例)施設が快適、施設の外観が良い

 従業員の満足度が高くないと、社会全体の幸福感も高くならないし、効率も落ちる。

 従業員の満足度が高いと、顧客満足度を高め、企業に対する顧客の信頼性を生み出す。それがひいては、顧客の購買行動につながる。

第9章 日本の組織と心理的契約

 日本の終身雇用は、文章化された契約がないにもかかわらず、よほどのことがない限り社員を解雇せず、社員も容易に転職しなかったのはなぜか?

 これを解き明かすのが「心理的契約」である、日本のこの特徴に気づいたのは、フォード財団の研究員として来日したアベグレンで、1958年に「日本の経営」を著した。

 「心理的契約」という言葉を定義したのは、米カーネギーメロン大学のデニス・ルソー教授である。

 文章化されない理由については、1987年にノーベル経済学賞を受賞した米国のハーバート・サイモン氏の「限定合理性」が参考になる。(簡単には、契約書にすべての内容を記述することはできないし、将来のいろいろなことまで予測不能だから。)

 心理的契約論では、「法律」と社会的関係における「評判」という2つのメカニズムによって、私たちの契約は守られ、社会は円滑に機能すると考える。

 ところが、2007年の調査では、不況を理由にして、「賃金引上げ」「上司からのフォロー」がされなくなる(契約不履行)と、従業員による貢献の質の低下と離職リスクの増大という代償としてはね返ってくることがわかった。

 異動や昇進の機会が少ない(ない)と、心理的契約がキャリアの節目によって修正・維持させる機会を減少させ、(転職しないという)会社との約束を守る意識が低下したのである

 経営者や人事、上司には従業員一人ひとりの声に虚心に耳を傾ける「臨床医」の役割が期待される。

第10章 やる気を引き出す仕組み

 「やる気」は、学術的にはモチベーションと呼ばれる。

 モチベーションを定義すると、「欲しいという気持ちとその気持ちを満たすターゲットが揃うと、目標の方向性が定まり、その目標に向けて気持ちを維持しようという一連の心の動き」となる。

 このモチベーションに深くかかわってくるのが「褒美」と「やりがい」である。この両立が求められる。

 上司の働きかけ(効果的に褒める)が重要

 組織としての取り組みとしては、リーダーシップとマネジメントがある。この2つをモチベーションの観点から見ると、リーダーシップは、(方向性の設定、人心の統合や動機付けなど)主に内発的モチベーションに影響を与え、マネジメントは(計画と予算の策定、組織構成と人員配置やコントロールと問題解決など)外的な報酬によってもたらされる外発的モチベーションに影響を与えるものと考えられる。

 リーダーが奉仕の精神を持って組織の目的に仕え、すべてのメンバーが奉仕の精神を持って組織の活動を遂行すれば、一体感があり、内発的に動機付けられた組織が生み出される。(サーバント・リーダーシップという考え方)

第11章 メンタルヘルスをどう守る

 経済学の視点から、職場のメンタルヘルスと企業の関係を労働問題としてひもとく。

 サービス残業が長くなると、労働者のメンタルヘルスの顕著に悪化する。

 悪化の要因としてはこれのほかに、働き方(仕事の進め方に裁量がない)や仕事の特性(突発的な業務)が挙げられる。

 これらは個人の問題ではなく、組織の問題として捉える必要性がある。

 さらに、本人がメンタルヘルスの不良を隠す傾向(スティグマ)が、事態を悪化させている。ぎりぎりでギブアップするため上司も気づけない。

 企業側も、メンタルヘルス問題を抱える会社というイメージを持たれたくないため、問題の存在を隠す傾向があり、成功例や改善例が企業間で共有されにくい。

 対応相談窓口の設置などには不調者を減らす効果は見られず、職場環境の調査といった施策で不調者を減らす効果が見られた。

 また、ワークライフバランスや人材の多様化などの推進組織を設置する企業では、メンタルヘルス不調による休職率も低い。

 この経済学的アプローチで、メンタルヘルス問題を研究することは始まったばかり。

 職場のメンタルヘルス問題は、職場の人間関係がどのように組み合わさり、どんなときにメンタルヘルスが悪化するのかを科学的かつ学際的に解明していかなければならない。

終章 経済学とこころはどう付き合ってきたか

 理論経済学では人間の心の中身を思い煩うことなく、合理的な行動だけに注目して分析すれば事足りるというが、経済学はこころの学問でもある。

 経済学は、スミスの利益追求主義とジェレミー・ベンサムの功利主義を基礎として発展し、人間をモデル化していく中で、この学派の伝統が歴史的に勝利した。

 18世紀のスミスの道徳論とミルの倫理学は、モラル・サイエンスとして残った。

 ケインズは、「確率論」で、不確実性の下で恐慌やバブルの原因となる人間の経済心理を中心課題とした。

 幸福調査で得られたデータをつぶさに検討することで、主流派経済学が軽視してきた人間認知への深い洞察が得られるだろう。

 さらに最近では、脳科学との融合で、経済行動における脳機能の解明を行う神経経済学など、さまざまな学際経済学が出てきている。今後の経済学に期待する。

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